なぜ地方宣教?



日本の教会未設置地域は全て地方農村部にあります

現実、課題、戦略、そして神の御心

なぜ地方農村部なのでしょうか?それは地方農村部に福音を届けることは、神の御心にかなうことであり、また効果的な方法であり、その上私たちの世代で実現可能なことだからです。私たちは地方農村部に福音を伝える必要があります。それは下記の理由からです。


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地方農村部の現実

  • クリスチャン人口が2%未満の民族グループ(人口が少なすぎて福音が届きにくい状態)
    日本は、世界で2番目に大きい、クリスチャン人口が2%未満の民族グループ(UPG)です。(UPGの定義: クリスチャン人口が全人口の2%以下).クリスチャンの割合が全国平均を大幅に下回っている地方農村部には、約3,400万人が暮らしています。
  • 教会未設置エリア
    地方農村部には福音が伝えられていないだけでなく、教会未設置エリア(教会が一つもない市町村)が全て(100%)含まれています。一部の都市はクリスチャン人口が2%未満のままですが、長い年月をかけて継続的に宣教が行われてきたために、日本では人口5万人以上の全ての都市に教会があります。一方で地方農村部の多くは、「地の果てまで行け」とイエスが言った2000年後の今も変わらず、教会未設置エリアとして取り残されたままになっています。
  • 未伝道の地域 (未伝道の地域とは定期的な伝道活動により福音が伝えられていない地域)
    ここ数十年、地方農村部には外国人や日本人の宣教師がほとんどいませんでした。地図で示されているように、宣教の必要性が高い地域と外国人宣教師の分布はとてもアンバランスになっています。(下記の宣教師人口のアンバランス 全国地図を参照) また、宣教師の分布は、都市部と地方農村部の間にも不均衡があります。それは宣教師1人当たりで見ても同様です。世界中で働く宣教師の中でごくわずかな宣教師だけが日本の未伝道地域、UPG地域(クリスチャン人口が2%未満のエリア)で働いています。そしてあまりにも多くの宣教師が、人々がすでに福音にアクセスできる地域で働いているのです。

未伝道の地域 表1:
日本はクリスチャン人口が2%未満の民族グループ(UPG)とみなされていますが、実際にはUPGを大都市圏、都市部、農村部の3つに分けて考える必要があります。なぜなら、これらの3つはそれぞれ、宣教の段階(宣教の進展の度合い)が異なっているからです。

UPG 段階 人口 教会数 クリスチャン% 宣教師数 総人口
12の大都市 100万人以上 10s to 100s 1-2% 数百人 2700万人
アーバン
エリア
5万人-
100万人
1 to 10s/city 0.3-1% 数十人から 6600万人
ルーラル
エリア
5万人未満 2/3が
教会未設置1/3が
教会数1-2
0.1% ほとんどゼロ 3400万人

この全国地図は、教会未設置エリアがどこにあるかを示しています。日本全体ではクリスチャンの人口が2%未満の状態です。しかし、大都市圏ではクリスチャン人口が2%に近づいています。多くの教会があり、宣教活動や伝道も多くあります。都市部(アーバンエリア)ではそれぞれの都市に教会があり、宣教や伝道もよく行われていますが、まだクリスチャン人口は2%未満であるため、福音に接する機会が十分あるとはまだ言えません。地方農村部の3分の2の地域には、これまで教会が設置されたことがありません。これら農村部の教会未設置(ルーラル)エリアの多くは、これまで宣教がされてこなかった地域であり、クリスチャン人口も2%未満だけではなくクリスチャン人数がゼロか2か3人しかない地域となっています。だから、福音に接する機会がない地域です


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地方農村部における課題:

  • 宣教師人口のアンバランス(不均等な配分)

    近年、ほとんどすべての宣教師は大都市圏やその他の都市部で奉仕しており、地方農村部で働く宣教師はわずかです。現在、日本にいる1560人の外国人宣教師のうち100人に満たない人だけが農村部に勤務しています。 90%から95%の外国人宣教師は、すでに一つ以上の、時にはいくつもの教会があるような都市部で働いています。すべての地域、すべての宣教段階で宣教師の必要性がありますが、以下の地図は、都市部地方農村部における宣教師の比率、そして都道府県ごとの地理的分布の不均衡を示しています。例えば、教会未設置エリアの割合が高い都道府県には、ほとんど宣教師がおらず、すでに教会がたくさんあるわずかな都道府県には多くの宣教師がいるのです.

    宣教の働き手不足と農村部の教会未設置エリアにおける宣教の必要性が非常に高いため、これまで一つの教会も設置されてこなかった地域に教会を設置するために、
    1)海外や日本国内から多くの開拓宣教師(開拓伝道者)が立てられ、委託され、その教会を開拓する責任と権威を委嘱され、派遣される必要があります。
    2)教会未設置農村部は教会がすでにある所から遠い場合が多いのに、農村部のある部分が合都市部の教会がそこで新たな教会を産んで、設置していくために十分近くありますので、その部分に都市部の多くの教会はそうする必要があります。

  • 福音へのアクセスの欠如 都市部でも継続的な福音伝道を必要としていますし、一部の地域ではもっと多くの教会も必要ですが、都市部の住民はすでに地元で福音にアクセスできる状態にあります。これら都市部の教会はまた、それぞれの都市で続けられてきた伝道活動を成し遂げる責任もあります。一方で地方農村部の3分の2の住民は教会が1つもない地域に住んでいます。これらの人々は福音へのアクセスがないため、教会がない地域への宣教はもっと優先順位を高くする必要があります。異文化圏からの宣教師は、地元で福音にアクセスできない地域の宣教に特別な責任を負っています。こうしてあなたが教会未設置エリアに行くことによって、あるいはそこへ教会開拓者を送ることによって、福音のなかった所に福音をもたらすことができるのです(1)。
  • 都市の教会から地方の教会へのトリクルダウン効果 (一部分を集中的に支援すれば、その効果はまわりにもじわじわ浸透し拡がっていくこと)によっては福音を届けられない
    これまで170年間地方農村部に福音が届かなかったということは、意図的に宣教しない限り、地方農村部へ自然に福音が届くことはないということは明らかです。地方農村部へのトリクルダウン効果は、以下のような原因により起こりませんでした。都市部の教会と宣教の働き手からの距離; 教会開拓の構想の欠如; 交通の便の悪さ; 地元に信者がいないこと、または農村部の故郷の町でクリスチャンとして公然と生きることを恐れる少数の人々; 宣教師の募集や新任宣教師の研修で農村部への配置が少なかったこと; 草分け的に開拓を行っている国内外の宣教師を農村部に留保することの困難さ; かつて農村伝道に大きな役割を果たしていたグループが数十年前に伝道の中心を失ったときに生まれた喪失感などです。このような状況を変えるためには意図的な行動が必要になるでしょう。


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地方農村部福音伝道における戦略:

  • 日本全土へ福音を届けるための方法 地方農村部にクリスチャンが増えれば、結果的に全ての日本人が自由に福音について考えることができるようになります。かつての家制度を基にした大家族の本家の多くは、農村部に住んでいます。彼らに福音を伝え、彼らがクリスチャンになれば、大家族全体が祖先崇拝の義務感や信仰に対するその他の障壁などから自由になります。このようにして、大都市で暮らしている分家のクリスチャンより影響が大きいというだけでなく、福音が複数の世代にわたって大家族全員に浸透していく可能性を開きます。都市部で信仰する人はしばしば、大多数の日本人が持っている伝統的な考え方と少し違っていたり、あるいは大家族への影響力と責任が限られています。地方農村部に福音を届ければ、家族、親せき関係を通じて福音を広げていくことも可能となります。このように、地方農村部に福音を伝えることにより、都市部においてもより多くの人々に福音を届けることができるのです。
  • 福音を日本人がより深く理解できる場所 農村部は日本人の心の故郷(日本らしい伝統的な考えが残る地域)です。福音を共有する方法が地方農村部に浸透すれば、全ての日本人に心の深い部分で共感を与えることでしょう。私たちは、日本の農村に福音を届けることによって、日本人の心に福音を届ける方法を学ぶことができます。
  • 福音を伝えるのは今の方が良い 50年から90年前に農村の高齢者に蒔かれた福音の種に、今すぐ水を与えず、育てなかったら、農村部に福音を届けることは、今後ますます難しくなるかもしれない。農村部の日本人の多くは高齢者であり、とても永遠の命に近い存在です。(彼ら自身が天国にいけるようにするためにも、農村部への宣教は一刻も早い方が良いのです。)
  • ただ消えてなくなるのではない 地方農村部の人口は減少し続け、農村部はかつてのように各々の自治体を維持できず、経済的に自立しにくくなっていますが、多くの農村は心理的に他と異なる地域として今後も存在し続けるでしょう。地方農村部には3,400万人が住み、うち1,400万人は1800の教会未設置エリアに住んでいます。そのうち半分がいなくなったとしても、依然として多くの人々といえます。


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神の御心について

  • イエスの愛は、99匹を放っておいてでも迷っている1匹の羊を追い求めます。 1800の教会未設置の農村部は羊飼いがいなくて迷っている羊で満たされています。
  • イエスはイスラエルの都市の人々がもっと長く滞在して欲しいと望んだ時でさえも、都市を離れ、小さな町にもよく行きました。神は、すべての人が福音を聞き、真理を知る機会を得ることを望んでいるのです。
  • イエスは彼に従ってきた人たちに、「すべての民族グループに弟子を作るように」と言っただけでなく、「地の果てまでも行くように」と命じました。神はすべての人が自分の地域で福音にアクセスできるようにしたいと考えています。


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まとめ

今の段階では、地方農村部ではもっと多くの教会を開拓していくこと(地域の最初の教会を設置すること)が必要です。都市と農村とでは宣教の段階が大きく異なります。 日本の都市部では宣教の種が蒔かれた70年から170年後の今、やっと福音伝道の拡大段階に入りつつあります。一方、農村部では数十年にわたってほとんど伝道がなされず、いまだに多くの地域が教会未設置エリアのままで、宣教は初期の開拓段階にあります。

都市部はクリスチャン人口が2%未満と考えられていますが今は移行段階(過渡期)であり、まだ外国人宣教師を必要としていますが、その必要性は徐々に低下しつつあります。

教会がある都市部では、クリスチャン人口が2%以上に近づきつつあり、これらの教会は、それぞれの都市で(福音を満たしていくこと)への責任をますます増しています。

異文化で活動する宣教師は、地元の福音にアクセスできない地域に対して特に責任があります。日本では、これらの地域はすべて地方農村部です。1800のこれらの地域は、多くの教会開拓者(外国人または日本人)が立てられ、委任され、教会を設置させることの必要性を表しています。農村部は、神の召しを受けた教会開拓者が行くのにもっともふさわしい場所です。もし国内外から多くの新しい働き手が得られ、またすでに日本で働いている外国人および日本の宣教師や日本の教会が農村部の教会開拓にもっと関わっていけば、私たちの世代に全ての地方農村部に福音を届けることができます。

日本の農村部は、今から70〜170年前に福音の種が蒔かれた都市部に比べると宣教学的な発展の段階はごく初期の状態といえます。農村部へ福音を届けることは、未耕作の土壌を耕すまさに開拓的な仕事ですが、その地の農村文化や生活様式の現実に適合させつつ、長い時間をかけて取り組み続けることによって十分可能となります。

注: 1.教会と人口密度に関する情報は、すでに教会がある地区に追加の教会の設置する際、場所を決める際の優先順位を考えるのに有益です。しかし、まだ教会がない地域にはあまり意味がありません(数学的に計算することもできません)。教会がない地域では、人々が福音へのアクセスができないことが何よりの優先課題となります。


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